1984年に勤めていた会社をやめて事務所を開いて以来だから24~5年の付き合いになるフィルム現像所、その今月の請求金額がついにゼロになった。フィルム撮影の時代は少ない月でも10万円ほどはあったと思うが100%デジタル撮影になった今、現像所に依頼するものはたまにあるポジ出力とサプライの購入くらいになってしまった。特に8月は仕事も少ないので結果こうなったのだろうがまさかゼロになるとは思っていなかった。フィルムの時代はこのように「請求金額ゼロ」をどんなに夢見たことか。ただ実際にそうなって見ると寂しいものがある。

カメラマンというのは結構、現像所に頼っていた部分もあったし また様々な情報も現像所絡みで入って来たものだった。今やネット社会で情報も氾濫しているし欲しい情報は絞り込んで探し出すことが出来る。こうも業界全体のフィルム撮影が少なくなってしまったら現像も安定していないだろうし、ましてフィルムの特性など掴みようがないので怖くて撮影できないのだ。デジタルの始めの頃は「ポラの代わりにデジタルで」ということにしていた。それだけポラの比率が高く(金額も大きく)デジタルカメラも良くなかったのだが、あっという間にフィルムを追い抜いてしまった。少なくとも印刷する為の写真はデジタルの方が絶対いいに決まっている。撮影したフィルムをいくらハイエンドのスキャナーでスキャニングしたとしても1670万色のデジタルデータにする訳だから自在に操れるデジタル撮影の方が有利なのだ。アナログ信者達は0と1ではなくてその中間にこそアートがある、などと平気で話をするがそれは感性の世界の話で、銀塩フィルムという化学反応の不確実な結果をあたかも自分の計算で作り出したかのように話をするのはどうにも違和感がある。
ただ、これからはデジタルがあたりまえで銀塩写真というレガシーな技術を学ぶカメラマンは少なくなってくるだろう。そこに危機感を持っている年寄り?はたくさんいるけれども今の若い人たちは既にテレビがあたりまえの時代に生まれて来ているのだからしょうがないんじゃないの?それよりもそこから発展する感性を期待すべきではないだろうか。
せっかく現像所の請求がゼロになったのだから、新しい感性を磨かなくてはならないかな?無理だろうが......。